化女沼に関するおもしろい資料

古川市史別巻 平成風土記の宮沢編「化女沼(化粧沼)」には 「藩政時代の小野邑、川熊邑の間にある周囲4kmほどの沼である。元禄年間、千枝湖新墾の時、もとよりの沼に堤防を築き、灌漑の備とし・・・・・・」とあります。 また、清滝編の「化女沼へのずい道」には 「化女沼は、古川市東部に位置する丘陵地帯の低湿地に自然滞水でつくられた本市最大の沼である。広さはやく2haで・・・・・」とあります。 私もこのように思っており、 明治時代に描かれた地図に「化女沼溜池」と書かれていたことは以前の日記に書いた通りです。 今日、長岡地区公民館で第3回目の長岡発史跡学習ガイド養成講座があり、はじめて出席しました。 今日の学習は「寺の開山について」ということで、いろいろと説明がありましたが 1回目、2回目の資料もいただきましたので、その中に目を通しましたら なんと「化女沼,長者原」の表題の資料がありました。 私にとっては、前の部分は初めて目にする所でしたので、 書かれている文そのものを上げてみたいと思います。 『長岡の北西、宮沢、清滝の境に連なる丘に抱かれた緑の野原「朝日さす夕日輝く 白南天の元に黄金ざくざく、うるし万林埋まっている」と伝えられている長者原であります。 この地に住む長者が660人の人足で6年がかりで掘った駒の形の周囲1里(約4km)の 沼でしたが、 木村幸男前県会議員はじめ多くの関係者の永年もの間の努力によって 待望のダムが造られ、5分の1程小さくなり、日本一小さい化女沼ダムに生まれ変りました。 ダムのできる前はハスの花、ジュンサイや魚取りで有名でした。 また、この沼には長者の娘「照夜姫」と沼の主の大蛇との悲しい恋の物語があって この沼を「化女沼」と呼んでおります。 古川市の川北4地区(清滝・宮沢・長岡・富永)の有志で組織している 「北部丘陵開発促進期成同盟会」で長者原インターにミニインター設置運動を 永年続けてきましたが、平成16年(2004)に「長者原スマートインターの 社会実験」が開始されました。(東北に3ヶ所) その恒久設置運動を続けながら今後の発展を期待し、関係機関、団体(官民)が 一体となり、北部丘陵開発丘陵開発推進計画づくりに取り組んでおります。』 以上のような内容のものでした。 次回、この資料の出所など詳しく聞こうと思っています。 ダムができる前の化女沼 化女沼